2/07/2012

海外にいるということ


マレーシアへの旅行からマニラに帰ってきました。

マレーシアで友人たちに会えて、おいしいものが食べられて、買い物して、
幸せ!っていうブログを書くつもりだったんですが。。



5日の朝、祖父が亡くなったとの連絡が。


4日の夜、ホテルの鍵を部屋に置いたまま閉めてしまい
ホテルの人たちを困らせていた時に、親からのメールを見ました。

入院している祖父の状態が良くないとのことでした。

私、そもそも祖父が入院していることさえ知らなかった。
だから最初よく理解できなくて、パニックでした。

入院していた理由は骨折とのことだったので、
それ自体はそれほど深刻じゃなかったのか、
私に心配させないように黙っていたのかは分かりませんが。


マレーシアから帰ったら日本に帰ろうと思い準備をしましたが、
間に合いませんでした。

知らせを聞いてチケットを探しましたが、
急いで帰っても式には間に合わないことが分かったので
今回帰国するのは諦めました。

(もっと飛行機いっぱい飛ばして欲しいし日本にももっとLCC普及してほしい。)





「Lauraがフィリピンで頑張ってることでおじいちゃんも喜んでくれるよ」

って言われても、

最後に顔見せてあげられた方が喜んでくれたんじゃないかって思ったし、

せめてマレーシアじゃなくてマニラにいれば間に合ったのに、とも思ったし、

何で私はこんなところでこんなことしてるんだろうって思った。



私が自分が選んだ生き方をすることで、
こんなに大事な時に駆け付けられないなんて。


自分の中で本当に大事なものは何なんだろうと思った。

今まで自分を育ててくれて、
誰よりも応援してくれている家族なんじゃないの?、って。



こんなこと考えたってもうどうしようもないってことは理解してるんだけど。

留学前に会ったのが最後になるなんて。
もっといろんな話しておけば良かった。
マニラからもいっぱいメール送れば良かった。




そして、海外に住むというのはこういうことなんだ、と。

日本で何かあってもすぐには駆け付けられない。

家族に何かあったら?
例えば日本でまた地震があったら?

確かな情報さえすぐには手に入らないだろうし
連絡だってすぐには取れないだろう。


やっぱり距離というのは残酷で、自分の力ではどうしようもない。




大学1年生の夏休みを思い出した。

おばあちゃんが亡くなった時も、私は外務省の中国派遣に参加する予定があって
火葬場までおばあちゃんを見送れなかった。

私のことをずっと応援してくれていたおばあちゃんとおじいちゃんだから
きっと許してくれて、頑張ってねって言ってくれるのは分かっているけれど。

それでも申し訳なく思うし、ごめんねって思う。
日本でじっとしてる孫だったら、顔見せに行けたのに。




自分の夢はきっと諦められないだろうけど、こんな思いもうしたくないなあとも思う。

どこでもドア求む。



白玉食べて元気になろうと思って作ったけどまずいし。
料理さえできない子でほんとごめんなさい。。



おじいちゃん、会いに行けなくてごめんね。
四十九日には顔見せに帰るね。
頑張るからね。




最後に、お気遣いいただいた方、ありがとうございました。
ご心配おかけしました。


励ましてくれて、ありがとう。



それでも私は頑張るしかないんだなー。



0 件のコメント:

コメントを投稿